第52回 東京優駿ダービー 2つのドラマ 岡部? ウチには加藤和弘という立派な騎手がいる

第52回 東京優駿ダービー 2つのドラマ

「岡部? ウチには加藤和弘という立派な騎手がいる。
不満があるならよその厩舎へ行ってくれ。」






第52回ダービー馬となったのは、ご存知のようにシリウスシンボリだ。

前年のダービー馬 皇帝と呼ばれたシンボリルドルフにつづく

シンボリ牧場の二連覇となった。

前年同様シンボリ和田オーナーの馬である。

シリウスシンボリに騎乗したのは「加藤和弘」騎手。

不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれないが、加藤騎手だ。

ココにひとつのドラマがある。

後にシリウスシンボリ移籍事件として有名になる逸話がある。

詳細を記しておく。

 シリウスシンボリは名門二本柳厩舎からデビューし新馬戦を加藤和弘騎手で完勝
2戦目斜行による失格、3戦目は不利を受けて2着

この騎乗に憤慨した和田オーナーはシンボリの主戦であり、前年ルドルフにて三冠を達成した

岡部騎手の起用を主張した。オーナーとしては当然の主張だが、厩舎側にも言い分はある。

両者のプライドがぶつかり双方譲る事はなかった。


二本柳先生が吐いた当時の有名な言葉をあげておこう。

「岡部? ウチには加藤和弘という立派な騎手がいる。
不満があるならよその厩舎へ行ってくれ。」


皇帝ルドルフのオーナーで当時は飛ぶ鳥をも落とす勢いの和田オーナーに向かって

二本柳はあくまでも弟子を庇い言い放った。

当然のごとく、しかも、あっさりとシリウスシンボリは他厩舎に移籍されてしまう。

若い加藤騎手にとって、日本ダービーを勝てるかもしれない馬に出会った喜びとは裏腹に

自身の技術の壁に悩み、それでも自分を庇って一歩も引かなかった師匠に対する

気持ちが込み上げていた。

この移籍事件に関して厩舎組合も黙ってはおらず、調教師会が仲介にはいることになり

シリウスシンボリは二本柳厩舎に帰厩しダービーを迎えることになる。


騎乗するのは、岡部幸雄ではなく若い加藤和弘だ。


加藤騎手をどれほどのプレッシャーが襲っていただろう?前日から降り続く雨は止む気配はない。

雨音の恐怖で眠れず思い浮かぶ事は、包まれたら、出遅れたら、といった悲観的な事ばかりである。

レース当日、もちろん1番人気

オーナーにケンカを売ってまで自分を乗せてくれた先生、ファンの声援、そして1番人気!


馬場状態は不良馬場に近い重馬場だ。スムーズにレースが進むとは考えられない。

それでも必ず勝たなければならない。相手は自分以外の全ての馬だ。

しかし他馬から見た相手は自分ただ一人と一頭でしかない。信頼できるのは騎乗馬の力のみだ。

直線に向いたら皆で一斉に包み込みにくるのは目に見えている。

スタートから最後の直線まで他馬とは無関係な大外コースを回る選択もあるが、

この馬場で、そんな事をして勝てるはずがない。

しかしもっとも怖い想定も加藤騎手の頭から離れずにいた。

「もしスローにでもなったらどうしよう?団子状態でレースが

進めば自分の馬は封じ込まれたままになってしまう。」

前の晩から眠れない状態でダービーのスタートを迎えた。


このダービーには、もうひとつのドラマが存在している。

名手と呼ばれた中島敬之騎手が騎乗する最後のダービーでもあった。


いわずと知れた3冠騎手だ。この年、中島騎手は、肝臓ガンに侵されていた事が判明している。

それでも医師の反対を押し切って執念で騎乗した馬の名は、トウショウサミット!


加藤騎手、そして中島騎手という、二人にとって、短くも永遠に長い2.31.0秒のドラマが始まる。


スタートが切られた。

ゲートが開いた瞬間飛び出したのは、このダービーの16日後には帰らぬ人となってしまう

中島騎手だった。男気のある騎手として慕われてきた中島騎手が激痛を堪えて参戦した

42歳最後のダービー

 果敢な逃げで、内外から競りかけられるが、一歩も譲らず後続を引き連れるペースで
レースを強引に引っ張っていく。

この時、魔のスローペースという加藤騎手がもっとも不安に思っていたペースが
あっさりと解消された。

シリウスは、案の定、両側からマークされたが加藤は想定内だとばかりにシリウスを好位

8番手外目につける。


 外目の好位を回りながら加藤騎手は、斜め前を行く、もう見ることのできない先輩の

騎乗から目をそらさずレースを進める。

早めのペースで流れているため馬群はバラけた縦長の状態になり包まれる心配はない。

シリウスの手応えはバツグンだ。

あとは仕掛け処のミスと前日からの雨の影響により不良馬場に近い、荒れた芝の痛みにさえ

足をとられなければ勝てる。

 加藤騎手は、直線に差し掛かる手前で、慎重に馬場を選びながら仕掛け気味に

シリウスを誘導する。

早く仕掛けたい、早く抜け出したい、この手ごたえなら、ココから追いだしてもゴールまで

持つかもしれない。

 相当のプレッシャーに襲われていたのだろう。加藤騎手にいつもの冷静さはない。

全てにおいて早めの行動である。

「いつどこで仕掛けたらいいんだ。自分が自分ではなくなっていた。」

 その時だ、4コーナーまで死力を尽くしてペースをひっぱってくれた中島騎手が、

馬一頭を間に斜め後ろまで上がってきている加藤に今だ!仕掛けろ!

ゴーサインを送りながら、まるで、さくらが散るように馬群にのまれていく最後の勇姿を

確認しながら、加藤は仕掛けた。

中島騎手のダービーはこの4コーナーで終わった。

声援したファンが涙を流して、うん。うん。とうなずいている。

よくやった中島、頑張ったぞ!複雑な感情がこのダービーの4コーナーを包み込んでいた。

その瞬間、加藤騎手の目に映ったのは、ゴールまで真っ直ぐに伸びた緑色の

ダービーウィナーコースだった。

しかし、4コーナーをすぎたばかり、東京の直線はながい。

西の天才田原成貴騎手が騎乗する、弥生賞スダホークが内から外へ、切れ込みながら

シリウスに馬体をあわせて勝負にくる。他の騎手、他馬にとってもダービーなのだ。

甘くはない。加藤は、ゴールまで気を抜かず追いまくった。

2頭の壮絶な叩き合いが始まった。スキを見せたら終わりだ。

 気がつけば3馬身差の圧勝、勝った!プレッシャーに打ち勝った瞬間だ。

それまでの力が全てぬけたのか、加藤の目から涙があふれていた。

中島先輩の横を通りすぎた瞬間からあふれ出ていたのだ。

中島敬之 このダービーの16日後に、肝臓ガンにて42歳の生涯に幕を下ろした。

1985年 第52回 日本ダービー 二つのドラマ